日々雑感

日々の出来事、感じたことを書き連ねる日記のブログ

エレベータと優先席

最寄り駅は改札が2Fにあり、駅構内の入り口は北口と南口があって、いつも南口を使っている。幸い、階段だけでなくエレベータがあるので、最近はずっとエレベータを使っている。

が、2月からこのエレベータが交換工事に入ってしまった。3月中旬までかかるらしい。反対側の北口のエレベータは稼働しているが、北口に行くには踏切から線路を超えて遠回りしなければならない。遠回りの歩数増と、階段上りの負荷のどちらを取るか悩んだ挙句、階段を使うことにした。歩数が増えると疲れて休憩も必要だし、転倒リスクも増える。

階段を上がるには、まず右足を段上に上げる。次に手すりと杖を支えに、左足を持ち上げ右足と揃える。これを1段ずつ繰り返す形で階段を上がっていく。以前は、一段飛ばしで階段を上がることもあったのに、じれったい。おかげで階段の段数がいくつなのか初めて把握した。階段を下りるのは、まず左足を降ろして次に右足を揃える形でやはり一歩ずつだ。

階段の上り下りをするたびに、エレベータの有難みを痛感している。今はどの駅にもエレベータがあり、階段で移動できない人を優先、と書いてあるが、残念ながら優先されているとは言い難い。以前、車椅子でエレベータに乗ろうとしたら他の人が我先に乗り込んで乗れなかった、とのSNSでの投稿が話題になったことがあるが、それが現実だ。通勤時などは、どこも悪くなさそうな人ばかりで満員になり、次の番を待つなんてことは日常茶飯事だ。「歩けるなら向こうのエスカレータでも階段でも使えよ」、と心の中で呟きつつ(口にすることはないが)待っている。

電車にある優先席も何が優先なのか、疑問に思いつつその前に立っていることが多い。目の前に杖を突いている人が立っていても、スマホに夢中だったり、気がついても知らんぷりだったり。時々、譲ってくれる人がいて、お礼を言いながら座らせてもらうことがあって、そういうときは本当に助かる。だが、優先席で譲ることが美談のようになるのはちょっと違う気がする。そもそも「優先」って何?。

元々、みな優先されている(この世は健常者優先で作られている)のだから、少しは不自由な人を優先してもらってもばちは当たらないのではないか。以前、名古屋城の再建を検討するワークショップか何かで、エレベータを要望した車椅子の人に「甘えるな」といった人がいたと報道されていた。たまたま健常者なだけで、なぜそこまで偉そうなの?誰だっていきなりケガや病気で不自由になるかわからないし、年を取れば杖を突いたり、車椅子に乗るようになるかもしれない。そうなっても「甘え」ずに、這ってでも階段を上がるんだろうな、なんてこれも心の中で呟く。

この病気になるまでは、階段を使うのは当たり前、エレベータも優先席も使うことはなく、自分には縁のないものと思っていた。いざ自分が当事者になってみると、世間の冷たさと、エレベータや優先席の有難み、譲ってくれる人のやさしさを痛感するようになった。これから先、車椅子を使うようになったら、さらに骨身にしみて思い知らされることになるのだろう。それでも、あちこち出かけていきたい。嫌な思いは心の中でぶつぶつ呟くのみだ。