日々雑感

日々の出来事、感じたことを書き連ねる日記のブログ

残念です つづく

昨日の訃報のあと、今日になっても喪失感が続いている。最近は熱烈なファンというわけでもなかったのに。何故だろう。ずっと気持ちが沈んでいる。

暗い気分でいたら、今日も新たな訃報があった。アニメ「ちびまる子ちゃん」で主人公のまる子役を30年以上務めたTARAKOさんだ。我が家では、日曜日は6時からちびまる子ちゃん、その後サザエさんというのが昔からの習慣になっているので、ショックだ。

もちろん、永遠ということはありえないのはわかっているのだが。慣れ親しんだものが失われるのは寂しい限りだ。闘病中だったと聞く。ご冥福をお祈りします。ゆっくりお休みください。

それにしても、立て続けの訃報。

 

残念です

Dr.スランプが好きだった。アラレちゃんもいいけど、梅干し食べてスッパマン、とか、ニコチャン大王のチタマ征服とか、バカバカしい脇役が好きだった。何というか、子どものままで、強いものが好き、珍しいもの、新しいものが好き、メカが好き、うんちを振り回すような大人が嫌がるいたずらが好き、童心なんてかっこいいものではなく、子どもが思うまま描いたような。

内容はそんななのに、絵がすごくかっこよくてきれいで、かわいらしく、やさしくて、きちっとしてて。天才だと思った。

ドラゴンクエストのキャラクターも良かった。モンスターも分かりやすく、デフォルメが効いてて、やっぱり天才だった。

もちろん代表作のドラゴンボールもいいけど、昨年のSANDLANDも面白かった。話が分かりやすくて、楽しい。考察なんて関係ないエンターテイメントだった。

もう新作を見ることは叶わないと思うと、とても寂しい。ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

今日のニュースで

5年前にALS患者が殺害された事件で、被告の医師に対して懲役18年の判決が出た。「ALS嘱託殺人」と呼ばれていて、自分も同じ病気と診断されている(まだ軽症だが)ので、この事件のことは気になっていた。が、結局、「『死にたい』と言った人を金をもらって殺害した」ということのようだ。「殺人」以外のなにものでもないと思う。

「死にたい」と「生きたい」は振り子のようなもので、行ったり来たりを繰り返す。自分もまだ動かないのは左足だけだが、将来寝たきりになり家族にも迷惑をかけるだろうなどと思うと、「死んでしまったほうがいいんじゃないか」などと考えることはある。だが、すぐに「いやいや、そもそもまだ動いてるし」と考え直す。振り子はまだ「生きたい」の方にいる方が圧倒的に長い。

これが、症状が重くなって介護を受けるような状態になると、振り子が「死にたい」の方にいる時間が長くなるのだろう、と想像はつく。「死にたい」側にある振り子をとらえて、じゃあ、とばかりに命を奪ってしまったのが今回の事件なのかもしれない。だが、ちょっとしたことで「生きたい」の方に振り子が振れることはあるはずだ。それは、家族とのなんでもない会話だったり、本や映画との出会いだったり、それこそ今日はいい天気だな、なんて些細なことかもしれない。そもそも、生物の細胞は常に生きる方向に向いていて、生きようとするのが本来の姿のはずだ。それを「死にたい」の方に振り子を振らすのは、周りに迷惑をかけるから、とか、役に立っていないから、とか、環境によって引き起こされるマイナスの感情の存在が大きいと思う。

そうしたマイナスの感情を軽減して、振り子が本来の「生きたい」の方に振れるようになってほしい。自分はまだ軽症だが、将来、症状が進んだときに、そうしたマイナスの感情に支配されないような状況になっていてほしい。医療の進歩や介護体制の整備、患者や家族への支援などなど・・・道は遠そうな気もするが、期待しよう。

ロボットスーツHALのリハビリ終わり

一ヶ月間のロボットスーツHALを使ったリハビリは今日で終わりだ。毎週2回で計9回の通院だった。以前書いた通り、HALで歩くのは楽しかった。

このリハビリで何が改善されたか計測するために、今日は歩行速度や足の筋力を測定した。1ヶ月前のリハビリ前にも同じ測定をやっている。その結果は、

・10m歩行:3秒近く速くなった。歩数も少なく大股に。

・2分間歩行:まったく変わらず。やはり持久力はない。

・足の筋力:右は変わらず、左は少し改善(本当?)

・握力:右37kg 左41kgで右が少し落ちた。

10m歩くのが速くなったのはHALのおかげだと思う。実際に歩き方が変わったのは実感できる。一方で、筋力や持久力は変わっていない。歩き始めはいいが、少し歩くと疲れてしまうのは、最近、実感している。

HALを使ったリハビリは、まだ継続することも可能だが、いったん、終わりにすることにした。歩き方は大分わかってきたので、これを維持できればよいと思う。何より、週2回半休を取って通うのは、もう有休が残り少ない身では厳しい。とりあえず、今回思い出した歩き方を意識して長持ちさせよう。

 

映画「ゴールデンカムイ」を観た

映画「ゴールデンカムイ」を観に行った。歩いて行けるいつものシネコンで観たのだが、前にもまして行くのが大変になっている。途中で数回休憩しながら何とかたどり着く、って感じだ。

映画「ゴールデンカムイ」は同名コミックの実写化だ。原作では、日露戦争後の北海道を舞台に、元軍人の主人公「不死身の杉元」とアイヌの少女アシㇼパが、アイヌの隠された金塊を探して、日本陸軍や網走監獄の囚人たちとサバイバルバトルを繰り広げる。

アシㇼパを通じてアイヌの生活習慣や食事、文化も描かれていて、このコミックからアイヌ文化に興味を持った人も多いらしい。ただ、登場人物が揃いも揃って癖が強すぎ(よく言えば変人、悪く言えば変態)で、残酷なシーンや下ネタも多い。すでにアニメ化はされているが、アニメでもちょっと子供には見せられない、と思うような描写もあって、実写化は流石に無理だろうと思っていた。

原作の再現度が高いという評判は聞いていたが、実際に観ると、確かに原作の再現度はすばらしかった。出演者もスタッフも原作愛をすごい熱量で注ぎ込んだような実写化だった。出演者のビジュアルも原作からそのまま出てきたような人が多い。アクションも力が入っていて迫力のあるものだし、ヒグマなどの動物の描写も迫力があり、手間がかかっているのがわかる。アイヌのコタン(村)での生活の描写もリアルで力が入っていた。

原作コミックはすでに完結しており全31巻だ。自分は、全巻持っているので、映画を見ながら、これは原作のあのシーンだなとか、いやここまで再現するんだ、すごいな、などとニヤニヤしていた。大変面白かったのだが、今回の映画は原作では3巻弱のところまでだ。明らかに話は続くのが、原作を知らない人はどう思ったのだろう。

今作は素晴らしい出来上がりだったと思うが、この熱量で完結まで映画化できるだろうか。主演の山﨑賢人は、本作だけでなく、「キングダム」という人気シリーズでも主役で、しかもそっちも長丁場の作品だ。大丈夫だろうか。さらに、本作ではまだそうでもなかったが、これからさらに変人(変態)がどんどん出てくる。本当に大丈夫だろうか。心配しつつも楽しみに待ちたい。

エレベータと優先席

最寄り駅は改札が2Fにあり、駅構内の入り口は北口と南口があって、いつも南口を使っている。幸い、階段だけでなくエレベータがあるので、最近はずっとエレベータを使っている。

が、2月からこのエレベータが交換工事に入ってしまった。3月中旬までかかるらしい。反対側の北口のエレベータは稼働しているが、北口に行くには踏切から線路を超えて遠回りしなければならない。遠回りの歩数増と、階段上りの負荷のどちらを取るか悩んだ挙句、階段を使うことにした。歩数が増えると疲れて休憩も必要だし、転倒リスクも増える。

階段を上がるには、まず右足を段上に上げる。次に手すりと杖を支えに、左足を持ち上げ右足と揃える。これを1段ずつ繰り返す形で階段を上がっていく。以前は、一段飛ばしで階段を上がることもあったのに、じれったい。おかげで階段の段数がいくつなのか初めて把握した。階段を下りるのは、まず左足を降ろして次に右足を揃える形でやはり一歩ずつだ。

階段の上り下りをするたびに、エレベータの有難みを痛感している。今はどの駅にもエレベータがあり、階段で移動できない人を優先、と書いてあるが、残念ながら優先されているとは言い難い。以前、車椅子でエレベータに乗ろうとしたら他の人が我先に乗り込んで乗れなかった、とのSNSでの投稿が話題になったことがあるが、それが現実だ。通勤時などは、どこも悪くなさそうな人ばかりで満員になり、次の番を待つなんてことは日常茶飯事だ。「歩けるなら向こうのエスカレータでも階段でも使えよ」、と心の中で呟きつつ(口にすることはないが)待っている。

電車にある優先席も何が優先なのか、疑問に思いつつその前に立っていることが多い。目の前に杖を突いている人が立っていても、スマホに夢中だったり、気がついても知らんぷりだったり。時々、譲ってくれる人がいて、お礼を言いながら座らせてもらうことがあって、そういうときは本当に助かる。だが、優先席で譲ることが美談のようになるのはちょっと違う気がする。そもそも「優先」って何?。

元々、みな優先されている(この世は健常者優先で作られている)のだから、少しは不自由な人を優先してもらってもばちは当たらないのではないか。以前、名古屋城の再建を検討するワークショップか何かで、エレベータを要望した車椅子の人に「甘えるな」といった人がいたと報道されていた。たまたま健常者なだけで、なぜそこまで偉そうなの?誰だっていきなりケガや病気で不自由になるかわからないし、年を取れば杖を突いたり、車椅子に乗るようになるかもしれない。そうなっても「甘え」ずに、這ってでも階段を上がるんだろうな、なんてこれも心の中で呟く。

この病気になるまでは、階段を使うのは当たり前、エレベータも優先席も使うことはなく、自分には縁のないものと思っていた。いざ自分が当事者になってみると、世間の冷たさと、エレベータや優先席の有難み、譲ってくれる人のやさしさを痛感するようになった。これから先、車椅子を使うようになったら、さらに骨身にしみて思い知らされることになるのだろう。それでも、あちこち出かけていきたい。嫌な思いは心の中でぶつぶつ呟くのみだ。